成人式で着付けができなかったお店とのトラブル
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成人式に大事な着物で出席するために、着付けの予約をしていたが、お店のミスによりそれが叶わず、もう涙が止まらないし許せないというツイートがちょっと話題。
たしかに気の毒だし、残念なことだとは思う。だが、故意にそんな手違いを起こすことは考えれず、当日のお店の対応に問題があったとしても、お店側も当日はてんてこまいで突発的な対応ができる余力はないだろう。
ミスは残念だが、もはや運が悪いとしか言えない面もある。
ここでわたしが疑問に思う点が3つある。
被害を受けた方、お店を批判するつもりはない。
ただ、疑問に思う。
そんなにお店が悪いのだろうか?なんらかの手違いがあったにせよ、そもそもは依頼主との合意の上で契約を結んでいるはず。勝手に契約されてお金を取られたのならまだしも、きちんと申し込みをして確認をしているはず。
だから、そこで行き違いがあるとするならば、お店だけでなく依頼主にも落ち度がある可能性が否定できない。
にもかかわらず、一方的にお店が悪いと決めつけることができるのだろうか。状況の詳細はわからないが、とにかく100%でお店が悪いと言い切れるのか?
次に仮にお店に落ち度があったとして、そのミスは絶対に許されないのか?すでにお店の返金と謝罪を受けることになっているそうだが、失われた大切な思い出は取り戻せないし、当日のお店の対応の悪さとお店の担当者本人の謝罪がないと納得がいかないご様子。
だが、返金と謝罪を受け入れたのなら、それでドローにすべき。なお許せないとするならば、時間を戻せとでも言うのだろうか。お店のミスが絶対に許されないとするならば、お客は安さや接遇の良さなどを求めることはできないし、契約が履行されさえすれば、他に文句や要望を言うこともできない。
でも、お店は限られた予算と人員で精いっぱいの努力はしているのだろう。倒産すると分かっていて、契約不履行する可能性をわかっていながら契約を取っていた業者とは同じではない。さすがにあれはひどいと思うが、今回の件はまた全然違う。
これを同じ問題のように騒ぎ立てるのはお門違いだと思う。
さらにわからないのは、そのツイートをみて、怒り心頭のまったく無関係な人たちの反応。なんとけしからん、許してはならん、賠償を請求しろなど、なぜに無関係なあなたたちがそんなに怒るのかと。
同情したい気持ちはわかる。でも、お店を許すとか許さないは本人やお店側がどうするかが決めることであって、まったく無関係の第三者が騒ぎ立てる筋合いではない。
もし、その店が許せないというのであれば、自分が利用しなければ良いだけ。それ以上のことを言ったり騒いだりする必要がまったくない。
本人からすれば、運が悪かったで片づけてはいけないことだろう。もし自分の子どもが同じ目に遭ったら、このようには割り切れないかもしれない。でも、返金と謝罪以上を求めるのはお門違いだし、そもそもそんなに絶対を求めるのであれば、前日や前々日に本人が確認を入れれば良かったのではないか。
その自分の落ち度を棚上げして、全面的にお店のせいにするならば、それはお店のせいではなく、自分のミスの言い訳をしているだけだし、責任をなすりつけて自分を慰めようとしているに過ぎないのではないか。
今回の件は自分で事前確認を入れれば、防ぎようがある事案だと思う。自分でカバーできる余地があったのであれば、その結果は自己責任。お店が100%悪いとは言い切れない。
接客やサービスを提供していると、クレームが入ることはある。でも、すべての責任をお店や会社になすりつけようとしている場合も多い。謝罪しても許さない、返金だけでは納得がいかない。だったら、そのまえに100%の対応が期待できるほどのお店が納得できるだけの金額で契約を結んでいるのだろうか?あれもつけ、これもサービスにして、値引きさせ、なおミスが許せないというのは横暴のように思える。
今回のことは本人には気の毒には思う。でも、お店が100%悪いとは言い切れないだろうし、見ず知らずの関係ない人までが許せないことだと怒っているのは誰得なの?って思ってしまう。
サービスを受ける側にも、金額と内容に相応のサービスであるというリテラシーが必要だと思う。ミスが絶対に許されないほどの完璧な対応を期待するならば、お店の売り上げの何割かを担保してあげないといけないのでは?それはできないけど、ミスは絶対許せませんと言うのはお客が神様だとでも思っているのだろうか。
お客のすべてが神様であるわけではない。
仮にサービスに対して完璧を求めるなら相場よりも破格の金額をまず最初に払うべきであろう。それでもなおミスったとするならば、関係ない人が多少怒ってもいいのかもしれない。