いじめはいけませんっていう説得力が減ってしまった残念なニュース
なんとビックリニュース。先生がいじめをしていた。いじめた先生、いじめられた先生、それを知っていた先生、それぞれ複数いるようだ。
神戸新聞NEXT|総合|送迎を強要、足踏みつけ、セクハラ… 加害の4人は有給休暇 教員間暴力、神戸市教委が会見
先生だって神さまでも仏さまでもない、完璧で完全な人間性なんて無いということは許容しないといけないと思う。しょせんは我々と同じ人間なのだから。
でも、先生はいじめをなくす側の立場でもある。それがいじめをしていたとあっては、子どもたちに説得力がない。
いじめる側、いじめられる側、それぞれに事情はあるでしょう。いじめを見ている側の先生もいる、ここが一番の問題じゃないかと。いじめは当事者だけでは解決が難しい問題。第三者が介入する必要があり、せめて告発する必要がある。
見ている側の先生も長く放置していたことになる。最初は軽い冗談のように思えたのだろう。だんだん悪質になっていくと周りがわからないことになっていく。でもわかるようなこともあったはずだ。でも自分が被害者にはなりたくない。見て見ぬふり、いじめってほどではないかな、、、って解釈がゆるくなる。
ここが本当に怖い。この程度はいじめではないと解釈しはじめる。
被害者にしたらとっくにいじめ。やる側も見ている側も加害者以外の何者でもない。
改めて、いじめというものの集団心理を理解して、身近なところからいじめをなくしていかないといけない。いじめはとても非効率で非生産的な活動だ。1円の価値も生まない。それに大勢の人が関わることになる。
子どもたちに『いじめはいけない』と大人は言っているはずだ。説得力が無くなる残念なニュースであった。
程度の差こそあれ、いろんな職場や集団でいじめやいじめに準ずる行為は無くならない。先生とか先生じゃないとかいう問題でもない。弱いものをいじめても良いという理論が通るなら、わたしたちは腕っぷしの強い大男からいつでも暴力を受けても仕方がないということになる。そんなことはあってはならない、誰もが安心して過ごせる社会を日本は目指しているはずだ。
いじめなんていけないし、意味がない。そんなことしているヒマがあるなら、生徒のため、お客のため、家族のため、自分のために、価値ある活動ができる日本になっていくべきであると思う。民度の高い日本を目指したいところだ。